2011年5月13日(金)~7月12日(火)安曇野・展示室1 | ||
アンデルセンの生地を訪ねる旅
1966年、ちひろは、約1ヵ月にわたり、ヨーロッパ各地を巡っています。「絵のない絵本」を描きたいと思っていたちひろは、原作者アンデルセンの生地・デンマークのオーデンセを訪ねることをこの旅の最大の目的としていました。3月30日、同行の画家仲間たちと行動を別にし、ちひろは母・文江を伴ってオーデンセまで足を延ばしています。古い石畳や19世紀の低い家々が残る街並みに感銘したちひろは、「じかにこの目で見、ふれることのできる感動がどんなにわたくしを力強く仕事に立ち向かっていけるようにするかということをかみしめていました」と語っています。この旅は、ちひろに、画家としての飛躍をもたらしました。『絵のない絵本』のみならず、『あかいくつ』や『あかいふうせん』など、後に手がけた西欧の物語には、それまでにないヨーロッパ特有の雰囲気が表現されるようになっています。心のふるさとを訪れる旅
幼い頃から親しんだ両親の郷里・信州は、ちひろの心の故郷でした。1966年、ちひろは信濃町の黒姫高原に、アトリエを兼ねた山荘を建てています。春夏は「野花亭」、秋冬は「雪雫亭」と呼んだこの山荘を、ちひろは毎年のように訪れ、家族とともに野山を散策し、野花を摘んで穏やかな時間を過ごしています。日常の雑事から離れ、制作に専念することもできた山荘では、数々の作品が生み出されています。生命力あふれる萌黄色や可憐で繊細な薄紫色が印象的な絵本『あかまんまとうげ』もこの山荘で描かれた作品の一つです。ちひろは、黒姫の豊かな自然に囲まれて過ごすなかで、美しい自然が見せる四季折々の表情を作品に結実させています。
最後の旅
未完の遺作となった絵本『赤い蝋燭と人魚』も黒姫山荘で描かれた作品でした。金に目がくらみ、大事に育てていた人魚の少女を売り渡してしまう老夫婦とそれを見つめる人魚の少女。人間の原罪と悲しみを描いた物語を支える日本海の表現は、リアリティのあるものでなければならないと感じたのでしょう。すでに体調を崩していたちひろでしたが、舞台となった北の海を描くため、黒姫に来て5日目に、新潟県郷津虫生海岸を訪れ、日本海をスケッチしています。肌で感じ、黒一色で描き出した冬の日本海の描写は、見るものに身を切るほどの寒さや激しい潮騒の音をも感じさせます。ちひろが生涯愛した旅は、安らぎを与えるものであると同時に、確かな実感を持って描きたいと願った画家ちひろの心を支えていたといえます。